読みにきてくださった方へ。
あなたがここに来てくれたということは、
①卵管造影検査をこれから受ける人
②卵管造影検査を受けた経験がある人
のどちらかということでよろしいでしょうか。
わたしはそう思ってここにあの日の経験を書きます。
決してあなたを怖がらせたいわけではない。
なにか主張があるわけでもない。
誰かの役に立てばもちろんいいのだけれども、これの目的は私の気持ちの供養のためと言ったほうがいいかもしれない。
なので、誰かのための説明の一切を省略させていただく。
あれから半年経ち、ようやく当時のわたしを慰めることができそうな気がする。
夫婦で検診を受けることにした
わたしたち夫婦には子どもがいない。
結婚した当初から夫は病気で休職していたし、わたしも忙しく働いていたから、2人きりのまま数年が経ってしまった。
気づけばお互いに30代半ば。どうしよう?漠然と考えるようになった。
子どもがほしいのか・ほしくないのか
という気持ちの問題と、
子どもがつくれるのか・つくれないのか
という機能の問題。
「子どもどうする?」の問いのなかには、そんな2つの性質の問題が内包されていて、事態をややこしくしていた。
加えて夫は病気で療養中、わたしは現在無職だ。
ふつうに考えるなら、この状況で子どもを望むべきではない。それはわかっていたが…
このままでは「産まない」という選択もせぬままタイムリミットを迎えてしまいそうだった。
それでまず、機能的な問題をクリアしているのかだけでも調べてみようということになった。
そんなわけで2人でカラダのチェックのつもりで産婦人科へ向かった。
内診のあと、卵管造影検査の予約
夫の検査は1日でおわった。
がんばって受けてくれたと思うが、男性の検査の詳細はわからないし聞かなかった。結果については当日教えてもらった。
わたしのほうは、初回は簡単な問診と内診。次回の卵管造影検査の予約をして終わった。
簡単な説明の用紙をもらったと思うが、どんなことが書いてあったかは覚えていない。
わたしは「卵管造影検査」というものがどんな検査なのか、ほとんど知らぬまま当日を迎えたのだった。
あのときの自分にもし会えるのならこう言うだろう。
ちゃんと調べぃ。
そして当日を迎える
予約の時間に向かうと、いつもの診察室とは別の診察室に案内された。そこはロッカールームになっていて、専用の衣装に着替えた。
ロッカールームの前が待合になっていて、わたしの順番の前の人がすでに座って待っている。
わたしが着替え終わったころ、診察室から女性が出てきた。おなかを押さえている。
「いったぁ~」
そう小さくつぶやきながら、彼女は着替えはじめた。
痛いのか…
急に不安になってきたのを覚えている。
あのときの自分にもし会えるのならこう言うだろう。
覚悟せぇ。
卵管造影検査の痛み
そこから先のことはよく覚えていない。
ただ言えるのは、もう二度と受けたくない。けれど、今後のためにも必要な検査だったということ。
後日話を聞くと「まったく痛くなかった」と言っていた友人もいる。なので必要以上にこわがる必要はないとは思う。
それに、痛いといっても10秒かそこらの話。子ども産むとかに比べたら一瞬のこと。
けどね、叫んだよ。ふだん無表情な私が
いてぇ!いてぇ!いてぇ!いてぇ!いてぇ!
って。
迷走神経反射おこる
問題はその後。
やっかいなことに私はとっっっても痛みに弱い。
「迷走神経反射」という症状をもっていて、痛みを感じると貧血を起こしてしまうことが多いのだ。これがとても厄介。
検査台の上で動けなくなってしまう。脂汗が止まらず、動機、息切れ、顔面蒼白。そしてめちゃくちゃトイレにいきたい。
這うようにしてトイレへ。その後待合のイスにて死亡。
30分ほど横になり、ようやく立てるようになったので帰宅。
帰宅後も気分がわるく腹痛が続いたので、その日は1日なにも手につかなかった。
これまでにも、生理痛で2度、親知らずの抜歯で2度、血尿を見て1度、採血で1度倒れたことがある。そのときと症状は全く同じだった。
痛かった。
あのときの私よ。
本当によくがんばったと思う。
出産よりはマシだ?うるさいね。痛いもんは痛いよ。
あー痛かった。
あーーーーーーーー痛かった。
(供養完了)
でもね。痛かった記憶は覚えているけど、どんな痛みだったかは半年たった今はもう覚えていない。そんなもんよ。
だからね、
がんばれ。
検査結果は異状なしだった。とりあえず。